・あぁなんだか寝てばかり。
部屋にTVがやってきたんですよ。
BSHiで小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラ
ベルリオーズ「幻想交響曲」なんて聴いてますと、
いい気持ちになってすーっとそのまま……
それは、オケの人的には、どうなんでしょうね(笑)
最善ではないが次善とか?
キモチイイってことだから。
それともやっぱり、ムッとするんでしょうか。
僕は自分の運転の助手席の人が寝るのが、
喜ばしい方です。
それだけ安心感と安定感がある運転ができてる、
ってことなので。
年末年始はこんな感じが、いいですなぁ。
・あ、洗濯機が故障したんですよ。
ほんでね、日立の人に来てもらって、
これJoshinの5年保証入ってて助かったわ〜。
生活必需家電はでかい保証入っといた方がいいわよ奥さん。
この年の瀬に新しいの買いに行くとか
コインランドリーに通うとか
考えただけでぞっとするからね。
で、直してもらって、結局基盤かと思ったら
モーターで、臓物まるごと取り替えで
新品持ってきた方が早かったんじゃないかと思うのですが、
まあとにもかくにも直って、
クルマに修理の方が戻ったらね、
どこからともなく湧いて出てきたおばちゃんが、
「いやっ! あんた電器屋さん!?」
「えっ!? え、ええまあ……」
「ウチのね、スイッチのね、真ん中のがね、動かへんようになったの!
あたしではぜんぜんわからへんからちょと見てくれへんかしら!」
「はい!? あ、いや、あの」
「いやーすぐそこやねん、そこの角曲がったとこ。はよ来て。
すぐやから。はよ来て!」
「は……いや……は……」
コントの撮影ちゃいますよ。
生。現実。
家の中で笑い噛み殺すのに困った。
年末はいろんな人がいますわ。
・今年は20年近くもらもらと考えてますライフワーク
「悟りと科学」についてまた少し進展がありましたぞ。
今年は逆に、「認識」の方からではなく
「問題」の方からアプローチしてみた。
世の「問題」というのはだいたいが「矛盾」です。
そろそろ受験シーズンですからそれに例えますと、
「東大へ行きたい・でも学力はない」
これが矛盾。
こう話を単純化すると解決方法はわかりやすいですな。
「東大を諦める」
「学力をつける」
どちらかあるいは両方です。
ただそれだけのことなんです。
ですがもちろん幾多の問題に直面してきたみなさんが
お思いの通り、
「諦められないし・なかなか学力もつかない」
だから迷うんだ、悩むんだ。
そのとおりなんですよね。
でもって、
悟りっていうのは、こっちの、「諦める」って方で、
科学的アプローチってのは、「学力をつける」って方かなあ、
と思ったんです。
根本的な問題点を視点を換えて問題点ではなくしてしまう。
あるいは、
問題点を解決する方法は困難で複雑ではあるけれども
必ず存在するという信頼に基づき、
地道にそれを模索し実行する。
どちらでも、結局は、問題は、いつか解決するのです。
つまり常に、
諦めるか、戦うか、どっちかで、
迷っても、しょうがない。
でね、最近ちょっと風向きが変わってきたなあ、
と思うのが、
今まではほんとにもう「戦え」一辺倒だったんです。
やり方が正しくて努力さえすれば必ず勝てるんだから、
戦え、と。
それはたいてい真実なんですけども、
人間そこまでいつもいつも強いわけではない。
また、人生にはプライオリティがあります。
どうでもいい問題にまでいちいち戦ってられるかバカ。
で、「諦める」っていう方向ですが、
これはそう表現するとなんだか消極的ですが、
「別の方向へ向かう」
と考えると、
第二次世界大戦中の日本軍はいい言葉を考えつきましたね、
「転進」。
それはそれでありなんじゃないか、と思えてきます。
むしろそれは場合によっては、
いいことであり、ビジネスにもなる。
いい例が省エネ家電で、
エアコンががんがん高効率になって
今やガスはもちろん灯油ストーブを追い落とす勢いですが、
あれってつまりその、
技術の発展こそが、
環境問題やCO2の問題に対して切り札になりうる、
という明るい話ですよね。
ビンボくさいケチケチ生活や不便な原始生活をしなくても、
最新鋭のエアコンを買い使うことこそが、
最高の環境への貢献だ、と。
と、まあこれは極端な例ですが、
「いや待てよ、オレはホントに東大へ行ってなにしたんだ?
オレがやりたい分野のことなら、
ここにこんないい先生がおられるぞ?」
とか。
そういうことです。
もちろん、そこには常に「逃げ」とか、
「ずる」の罠が潜むわけですが、
たとえそうであっても、
「選択肢は多数ある」ということを忘れないのは、
いいことだと思います。
つまるところ、
人生という矛盾の連続において、
どちらのアプローチを取っても、
問題は解決します。
もちろん、複合的に組み合わせると、
さらに強力です。
「南波照間大にオレの大好きなマンタを専門にしてる先生がいる!
よぅし、今日から毎日バタフライだ!」
なんてね。
二つのアプローチは決して反発し合うものではありません。
むしろ相互補完的。
「まともな」代替医療家が口を揃えて言うのは
「骨折は整形外科行った方がいい」
そりゃそうですわね、
加持祈祷より添え木の方が役に立ちそうですわね。
この二つ、
全体のバランスを見ながら、
よい調和を目指すやり方と、
個々の要素の働きや機能をよく理解し、
そのメンテナンスや改良によって
パワーアップしていくやり方と、
つねに両方、意識しつつ、
問題に取り組んでいくのが、
いいんじゃないかなあ、と思います。
MacBookが出たときに、
もちろんデザインはじめ商品パッケージとしての
バランスの良さ、
つまりコンセプトの明快さが人目をひいたのですが、
地味ながら同じぐらい大きなポイントとして、
当時の同性能のWinのノートより若干割安だった、
という点もあります。
それを実現するには、
やっぱり購買担当の高い調達力や、
設計・生産エンジニアがコツコツ地道に
一つ一つの要素に当たってコストを削っていく
アプローチが効いてるわけで、
ジョブズとアイブがいればできる商品、
ってわけではありません。
両方のアプローチが共に非常によく効いてるからこそ、
「おっ」と人目をひくわけです。
そんな感じで、両方使いこなすのが一番だね、
というごく平凡な考え方にいたる。
なぜこの二つのアプローチを統一したいとか
思ったのか今となってはわからない(笑)
まあ、若かったから、
「二つやり方がある」
っていうことがそもそも気持ち悪かったんだと思います。
特に当時は、もう片方のことを言い出しますと、
先日も言いましたが、
普通に狂人扱いされたので、
「お前らそう言うけど現実ににっちもさっちも
いかんようになってるやんけ!」
という反発があったのだとも思います。
じゃあそっちの方向でわかりやすいように説明つけてやるよ!
みたいな。
まあ、いい時代だと思います。
いつの世にも悲観論を言い出すときりがないのですが、
この「別アプローチがあるぞ」と徐々に認められ出していたり、
また、営々とそのアプローチでなければ
作り出せない「古くからの何か」を
守り続けている人にもスポットが当たるようになったり、
してる一点だけをとってみても、
日本は満更ではない方向へ進んでるんじゃないかな、
と思いますよ。
ただし、二つのやり方を併用する時には、
ダブルスタンダードに陥る危険性が常にあって、
それは、「弱い」です。
「魅力的なサッカーがしたい。でも、勝ちたい」
のような。
それを避けるには、目指す完成形のイメージを、
鮮明に持つことではないかな、と思います。
「意図したとおりできないかもしれないし、
勝てないかも知れないけど、
イメージには近づいた」
のような。
それを積み重ねることでにじり寄る、
のが矛盾解消すなわち問題解決、
なのではないかと思います。
逆に言うと、そのイメージが持てない場合は、
まだ矛盾の洗い出しがきれいにできてない、
段階なのかもしれません。
まず、それを。
来年も少しずつ、イメージににじり寄ろう。