空気をつくる
ここ一週間ぐらいずっと考えてたんですけど、
あんまりうまくまとまんないので、メモ的に。
こないだ仕事しててハタと気づいたんですけど、
ひょっとして僕は
「空気」をつくる
ってことをやってるんじゃないかと。
いや、そういう風にやればいいんじゃないかと。
で、
そうやってみれば、
ああ、なんとなくいいかんじ。
また抽象的な表現ですみませんが、
私達は文章でも絵でも音楽でも、
コンテンツに触れる時、
その「空気」を感じ取り、そこに浸り、
共感し感動して、喜怒哀楽を引き起こされ、
それがカタルシスになる。
「おもしろい」と思う。
ならば、作り手はその「空気」をこそ、
つくらねばならないのではないか。
シーンを、キャラをストーリーをセリフを世界観を
作るのではなくて、
そこに流れる・流れていく空気をこそ、
作らねば。
逆に、
そのために必要な要素を、上手に配置する、
のが、作り手の仕事。
これ逆のように思えますよね。
この登場人物がこの状況でこんな話をすれば
こんな空気になる、と。
違うんです。
例を挙げますれば、
たとえば若くして、そうね僕と同じぐらい30代後半で
亡くなった友人のお通夜で、
友達連中が集まって語りあう。
ほら、すごく哀しげに思えるでしょう?
ところがどっこい、その死に様たるや
そいつ落語マニアで志ん朝さんのDVD-BOX届いたので
嬉しくて興奮して笑いすぎで死んだ。
そいつゲラで笑うと心臓がヤバイぐらい笑うのをみんな知ってて、
「あぁやっぱりアイツ笑い死にか……」
「そやからあんま笑うな言うたのに……」
「あいつ親に隠れてお笑い番組全部観てたらしいで」
「まさか米朝師匠より先逝くとはなぁ……」
「『米朝師匠おらんようになったら俺生きていかれへん』言うてたからなぁ……」
「それでも志ん朝さんで死ねたら本望やろ」
「「うんうん」」
ほらそんなに哀しくない。
そうか?
ここで大事なのは、
今作ろうとしてる空気がどんな空気かを
それこそよく読んで、
「いい空気」に育てること。
「いい」といってもプラスの感情ばかりじゃなくて、
マイナス方向でもキレがあって心が動く=感動があれば
いいと思うんですけど、
とにかくその、
無理のない、
しかし受け手がどっぷり浸れるような、いい空気。
それを、作る。
セリフやシチュエーションはそれが導きだすもので、
逆ではない。
ここ、方向を間違ってると、
自分が描きたいと思ってる情景にいつまでも到達できなかったり、
あるいは描きたい情景に足りない要素があるのに見過ごしてしまう。
おわかりいただけますでしょうか?
ややこしいですね、すみません。
で、かつ、
この「空気」ってのは微妙なもので、
その場でしか生まれないので、
前もってこっちへ持っていこう、
なんて強引にすると、霧散してしまうことも多い。
むしろ生まれたての空気の育ちやすい方向をよく見て、
その方向に育ててあげた方が豊かないい空気に育つ。
まるで子どもみたいですけど。
そして、生まれた空気に出来不出来ってのはなくて、
育てよう次第で、その方向に「いい空気」にはできる。
僕は今までどっちかというと、
キチッとした要素をキチッと構成して、
レンガでお城を造るように物語を構築するのかなぁ、
と思っていたのですが、
どうもそうではない。
むしろ野放図で都市計画のない東京の街のように
そこかしこで「いい」と思う空気を
生成・熟成させていくことで、
どこからなにが飛び出すかわからない
ステキな街ができあがる。
その空気に必要な要素を適当に用意すればいいのです。
結果的にシンプル・リズミカル。
ナチュラルでバラエティにも富みます。
「シンプルにするとよく描ける」のではない。
こんな話するといつも思い出すのは
K11マーチ(先代)でして、
あれエンジニアリング的には
なんら特徴のない凡作なんですが、
商売的にも評価的にもAをあげていい傑作で、
じゃ、その、「傑作たらしめてるもの」とは何か。
答えになってないようですが、
老若男女が「これいいね」と思ってしまう空気、
のような気がします。
と、考えると、大切なのは
このかすかな空気を感じる力、そして、
空気をつくる力。
空気を育てる力。
自らの経験の記憶をフルに引っ張り出して、
「こんな感じだとこんな空気だ」をベースに、
他人様にも感じやすい空気を、表現していく。
そこにやっぱり技術も必要で、
「あーそれならわかる!」という表現を選択する能力、
これが求められるわけです。
たとえれば、
「世界中の人が驚くような鮮やかなピンク」
を選ぶのではなく、
「僕が見た中でいちばんピンクらしいピンク」
を描くのです。
突き詰めていけば敵は本能寺にあり、
自分がマックスに嬉しい空気を描ければ、
それは自分の表現限界ですから、
理論上それ以上の「嬉しい」をお客様に届けることなど不可能です。
そこで、なにか絶対的な「嬉しい」があって
それを描けるはずだなどという考え方は、
どこにも根拠のない単なる錯覚である。
(まあ万が一の偶然はあるかもしれませんが)
こう考えると、
精密なパーツを寸分違わず組んでいく、
というやり方をしなくてもよく、
(それでもよい)
ずいぶん自由度が上がります。
ある「空気」を生み出す方法論は無限にある。
どのやり方を使っても良い。
気楽ですし、実際楽です。
「あらなんか全然逆だわ?」
って感じで、
まだしっかり身についたとも言えないのですが、
まあなんとなく、こっちが正解だろう、と思っています。
Air raise? Air Live?
まとにかくそんな感じの、
いい空気づくり・育て・生かしをしたいものです。
なんとも抽象的な話ですいませんでした。
なんとなく考え方が変わった「空気」を
感じていただければこれ幸いかと!
余談ですが、
これにふと気づいたのは、
ある物語の本筋を描き終えて、ほんとにふと
「……こういうシーンを加えてもいいかな?」
と思った時でした。それは、
「あってもなくてもいいけど、
あった方がいいもの」
でして、
で、
「……いや、その感じこそがだいじなんだ!」
と。
その「あった方がいい」と思った「感じ」、
(これが今言う「いい空気」)
これこそがおそらく読んでる人も得る
「実感」であって、
それを並べる以上の(以外の)やり方は無い。
じゃちょっと待てよ、
それが「無くてもいい」ってことは
つまり必然性とか、構造性とか、そういうものは、
ものの良し悪しに関係ないのか!?
あるいは「あった方がいい」って、
なにをもって思ってるんだオレは?
……と、思ってしまったところから、
つらつら考えてみたのです。
しかし、
思えばコンテンツというものは本質的にそうで、
水やお金や安全のように
「無いと困るもの」ではない。
でもあった方が絶対楽しい。
本質に素直に従ってるものの方が、
たぶん自然です。
私昔から美術論とか文学論みたいなのが苦手でして、
それはたぶん、
本質的に無くてもいいものをそない一生懸命ならんでも、
という気分が抜けきらない。
(もちろん、無くていいものだからこそ議論が加熱するのは、
サッカー談義でも神学論争でも同じなんですけども)
「無くてもいい・でもあると嬉しい」
という矛盾性こそがコンテンツのキモで、
そうであるからこそ人生という矛盾に満ちたものを
表現できるのですよきっと。
と、語ってしまいまし、た。
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