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2008/05/05

セザ〜ンヌ

「セザ〜ンヌはすごい」
と美術関係者特に絵描きさんはうるさいのですが、
なぜ凄いのか私いままでよくわかってなかったんです。
けどこないだぼんやりと
iPod touchの壁紙の(最初から入ってる)
名作「リンゴとオレンジ」を見てて
あっと思った。
あれつまりその、人類史上初めて
「現物を自分の中で分解して再構築する」
ということをやった人なんですな?
愚か者め(笑)
そんなことするからあとのもんが困るんや(笑)
つまりそちらを突き詰めれば
「なんでもいいからシャウトしろ」
であり、
もちろん莫大な自由を手に入れたわけですが
その代償として「絵」の定義が揺らぎ
ぐちゃぐちゃになってしまったわけですな。
現在も続く。
なにも描いてない白紙出して「絵です」と言い切る
ジョン・ケージみたいなことしても良くなって、
つまり訴えと解釈が中心になってしまった。

いつも僕はそういうのを見ると聴くと読むと知ると、
「そうか?」と思うんです。
だって、セザンヌの代表作と言えば、
(「Apple」がそうしたように)
「リンゴとオレンジ」ですよね。
あれは、だって、ちゃんとした
リンゴとオレンジの静物画ではないですか。
どう描いたかどう把握したかなんてなんの関係もなく、
魅力的なリンゴとオレンジのある情景、
そこをこそ人は評価してるわけで。

絵描きさん的にはそれはエポックかもしれないのですが、
それは19世紀後半社会のありとあらゆるところで
起きたことでして、
そのへんから世界がおかしくなった。
要素に分割して個々から把握する物の見方は、
確かに主に科学や工業技術の面で
非常に強力な手法であったがゆえに
その面では人々に幸せをもたらしたのですが、
逆に全体を全体として見たまま感じたまま把握する方法を
必要以上に人類から奪ってしまい、
その面では数々の不幸が……
って、まあつまりああいう進化って同時多発的で、
あるキッカケが他の分野でもキッカケになる、
んでしょう、きっと。
だからセザンヌがやらなくても誰かがやってたに違いない。

ま、このへんからいつもの話になり、
つまり両方の視点が必要で、
なんかわけわからんこと叫んだらゲージュツや、
というのはどうかな、と思いますし、
子供の気を引こうと密鬼を描いたら
「これ密鬼じゃない」と言われ慌ててweb見ると
最近の密鬼は僕らが若い頃に比べて
若干ながらアコースティックな絵柄に回帰しており、
あの目がキラキラでかくてパニオン立ちしてた彼は
時代遅れらしいです。
さすがプロ、ちょっとずつ変えて
「変わってないけど新鮮」
をキープし続けているのです。
なんだ、ちがう、今言いたいのはそんなことじゃなくて(笑)
見たままそのまま過ぎるのも、
もはや「自我」を持ってしまった私達には
物足りない。
ここのバランス、
それは本当は人間がなにかを表現しようとした
瞬間から、たぶん無意識ながらも
「ここがキモやな」と感じてたところで、
これがますます大事だ、と思います。

日本人はたいへん印象派好きですが、
あれはたぶん、そこから、絵が
人間としての共通言語を語り出す、
から対応できるようになるんじゃないかと。
ゴッホの自画像に描かれてる苦悩は、
誰の苦悩でもあるのです。
そこまではやっぱりヨーロッパ言語しゃべってるので、
なんかわからん。
凄い、とは思いますけれども。
まあ、そう考えれば、
今の方が幸せと言えば幸せかもしれませんな。
外国の曲でも映画でもアニメでもなんでも、
一応楽しめますもんね。
何かを失えば、何かを得てるものです。
それとは別に、
ドメスティックなものの良さもあって、
それもまた良し、です。

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