2008/07/22

本「世界がキューバ医療を手本にするわけ」 吉田太郎

フィデル(カストロ)があまりにもカッコよすぎる。
医療研究所を建てて
「ここはキューバのためだけの施設ではない。
 全人類のための施設なのだ」
大災害時の国際的医療援助もものすごいそうです。
05年の大地震時に助けて貰ったパキスタンの作家曰く、
「いま、愛について新たな言葉を学びました。
 それは、キューバです」
やってることは、最近よく話題に上る、
ホームドクター制であるとか、
代替医療の積極的活用であるとか、
医師の教育も2年次から現場で、とか、
そういういわば「なったらいいな」なことなのですが、
それを実現してしまう国民の馬力。
しかもそれを、経済封鎖とソ連崩壊で
青息吐息のどん底でも着々と進めていった、
というのがこれまた凄い。
むしろ、そういう酷い状況だからこそ、
「これで打開するんだ!」
という知恵とエネルギーが湧いてくるのかもしれませんね。
独裁者そして彼のおかげで苦況に立つこともあるにもかかわらず、
カストロ(元)議長が人々の支持を得続けてるのは、
本気で世界中を幸せにしたいと思っているからですなぁ。

私達は日本人ですからのんべんだらりんと
健康保険について「高いなぁ」とか感想を述べますが、
近年ほころびと無理が目立つとはいえ
あの国民皆保険システムは
世界に誇れる政策だそうです。
アメリカで事故に遭った友人が病院で
診察の前にまずもって保険の有無や形式を問われ
使用許諾のサインを求められた話を聞き、
そんなもん日本でやったら全員が
モンスターペイシェントと化して大暴れですよ。
ですが考えてみればそれが普通。
古今東西の悲劇のモチーフのひとつに
「貧しくて医者にかかれない」
がありますが、今の日本ではかなりレアケースで、
それだけでも素晴らしい。
ことなのですが、それにもましてキューバは無論、オールタダ。
この本読みましてもやはり、
外国人でも医師と教師だけには市民権を与えた
ローマ帝国ではないですが、
医療と教育ばかりには経済効率度外視で
最善を求めてもいい気がしますね。

ただその、バラ色の話ばかりではありませんで、
そのお金どこから出てくるかと言えば
ベネズエラが豊富な石油を元に
いわばパトロン役をやってるから、だそうで、
ほなその石油どこへ行ってんねん、といえば
もちろんアメリカをはじめ資本主義先進各国。
難しいもんですな。
武器、それがハードなものであれソフトなものであれ、
が無ければ革命はできませんが、
その武器はどこからくるのかといえば、
無から生まれるものでもない。
旧体制あるいは別システムから供給されるわけです。
まそれでも、
全体で見れば、
キューバの人達は(この本を読む限り)
健康に関してはかなり幸せそうで、
理論的にも実践的にもパーフェクトでなければ革命ではない、
というものでもありますまい。
やれるところから、少しずつ。Rがついてなくてもいいのです。

オルタネイティブ、
「別のやり方がある」
と頭の片隅に置いておくこと、
できればトライしてどんなものかちょっと舐めてみること、
これは非常に大切ですな。
そのやり方を採用しないにせよ、とても参考になる。

あと、「やればできる」。
「やる」までにぐでぐでしちゃうのが人間なんですけども、
ただ、やればできる偉大な事例のひとつとして、
勇気は湧きます。

著者の他の書物も挙げておきます。
読みたいんですけど、いかんせんちと高い……
こういうのこそ新書700円で売りまくるべきではないのか。

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2008/06/25

本「ちょっとピンぼけ」 ロバート・キャパ

キャパガッゴエエ〜〜〜!
こんな本を中学生男子に読ませると
「俺も戦争カメラマンになる!」
と誰も彼もが言い出しかねない冒険譚です。
戦争は言うまでもなく悲惨なもので、
事実人がゲームより簡単に斃れていく描写も
多々あるのですが、
なぜかこの書物とそこに描かれるキャパは
泥にまみれながらも颯爽とカッコよく、
人間はいかなる状況においてもその
「なにを見ようとしているのか」
によって輝きが決まる、
という事実を突きつけられるようです。
恋人も安全もかなぐり捨てて
最前線敵陣ど真ん中へ落下傘で降下するキャパ。
兵士達と違って
「やらんでもええことを命がけでやる」
その最も極端な例、というところが、
男の子ごころをくすぐるんです。
やらなあかんことばっかりやらされている
日常に辟易してきたら、
コイツでも読んで
コンタックスを抱え戦場に舞い降りる
自分自身を想像してみてはどうか。

キャパ最期地雷で死ぬんです。
それをも親友の一人は
「むしろ羨ましい」
と嘆息する。
写真は目です。
兵士達と共にノルマンディで水浸しになった目、
でなければ見えないものはたくさんあり、
つまり人よりたくさんの真実を見ることができる。
その目を、耳を鼻を手を、
得んとする勇気と覚悟そして実行力、
便利な言葉を使えば好奇心、
それを、人は羨む。
戦場へ行く度胸はなくても、
せめてそいつはキャパのほんの何%かでも持っていたい、
と思いました。

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2008/05/18

本「それでもなお、人を愛しなさい」 ケント・M・キース

もう題名でわかるとおりエエ本でしたよ〜。
つまり言いたいことは
「まあいろいろあるけど、
 ええことすると自分が気持ちいいんやから、
 ええことしましょう」
というだけなんですけど、
そしてそれは真理なんですけど、
これがなかなかね、人間できませんね。

僕もいろいろ考えたんですけど、
心ってズームレンズみたいなもので、
少々フィジカル(物理的)に・
そしてテクニカル(技術的)に鍛えますと、
「人の気持ちになる」
こともある程度できるようになります。
本書にもありますが
「質問への答えは三つある。
 あなたの答え、私の答え、そして正しい答え」
というように、
「あなたの答え」も見えてくるようになります。
それはいいとして、
それと、自分の感情・感覚との摺り合わせ、
これが難しい。
「理解はできても納得はできない」
ということが、往々にしてあるものです。
僕がその時ハッと気づきましたのは、
「待てよ、ズームレンズってことは、
 単焦点で自分が動いてもいいのか?」
カメラちょっと使ったことがある方ならベテランに
「ズームなど邪道だ。
 最初は単焦点で自分のフットワークを鍛えろ!」
なんて言われた経験があると思います。
結局、心のズームレンズを前後させて
相手の気持ちになるのも、
自分の単焦点な心を動かして、
自分の気持ちを変える、
「いや待てよ?これこう考えると
 オレにとって幸せなことじゃ?」
というのは、同じことなんです。
例としてよく挙げられますが、
たとえばフラれたと。失恋した。
その時第三者は平気で
「まぁまぁ。
 もっといい彼女(彼氏)が見つかるさ」
なんてなこと言うわけです。
で、それは、真実。
36年も生きてきますとそれが真実だと思い知ります、
私自慢にもなりませんが相談されやすいタイプで
泣きそうな顔で相談を受けたことが
一度や二度ではありません、
が、
そいつらみんな男女問わず別のと幸せになってやがります(笑)
そーんなもんなんですって。
と、言うように、
世の全ての
いいですかここポイント、
世の全てのことは、
心のフットワークを使ってみれば
いいことなのか悪いことなのか、わかったもんじゃないんです。
よく棺桶の蓋が閉めるまでは、
なんていいますが、
ゴッホのように蓋閉まってから話が始まった人も多くいて、
閉まってすらわからない。
なんといいますか、
いろんな出来事を、
自分の都合のいいように解釈して、
のほほんと生きてていいんだと思います。
それと真剣に生きることとは矛盾しません。
真剣にのほほんと。

本書原題は「Anyway」でして、
訳書では「それでもなお」と
強い意志を持つような日本語が当てられてますが、
どちらかといえば
「ともかく」とか「とりあえず」とか、
「ま、世の中こんな風なんだけど、
 とりあえず頑張れ」
みたいなタッチなのではないかな、と思いました。
世の中がどうあるかということと、
自分が自分の何かを満たすために
頑張ってみることとは、別。
人間は社会的な生き物ですから、
社会の中でどういう位置づけがされているか
どうしても気になるものですが、
そればかり気にしていてはしんどくて、
その根本となる「自分はどんな人間か」というところを、
コツコツ鍛えていくのがまず先決なのかなぁ、
と思いますよ、うん。

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2008/05/15

本「最新戦法の話」 勝又清和

将棋は全然詳しくないのですが、
最近すごいことになってると聞いて読んでみました。
勝又六段はご自身の戦闘力もさることながら
わかりやすい解説で初心者から棋士仲間まで信頼の厚い方だそうです。
実際ざっくり舐め読みでも
戦型の変遷がとても理解しやすく、
お好きな方なら駒並べて一月ぐらい
遊べる本ではないでしょうか。

一言で言いますともう大乱戦で、
古くに廃れたと思われた戦型が
ある一手が見つかったことで
わっと流行したり、
それに対する手が一つ見つかっただけで
シューッと収束したり、
屈強なオールラウンダーに対し
ある戦法のスペシャリストが
それを極めて戦いを挑んだり、
一瞬先は闇という感じです。
僕子供の頃、8五飛戦法なんて影も形もなかったなあ……
ちょっとサッカーのシステムの出し合いに近いですね。
ついこないだまでは
スペイン流の4-2-3-1が猛威をふるってましたが
今年はすでにイングランド流
フラットフラット2トップの4-4-2ですよ。
CLベスト4にプレミア勢が3つ残ってね。
つまり結局はその時勢いがあって
いい選手集められるリーグで採用されてるシステムが
自動的に「強い」というレッテル貼って貰えてるような
気もするんですが……
それは余談。

結局、
情報力があまり変わらない世界になってきますと、
なればなるほど「逆に」、
モノを言うのはポテンシャルというか「器」というか、
柔軟性というか総合力というか、
そういうものになります。
新戦法見つかってもすぐ
羽生・森内・佐藤といった強豪が
ちゅーっと吸収してそれを使って
バッサバッサと弱者を薙ぎ払う。
ああ。
なんつーかIT化って、格差拡大に貢献してませんか。
それは言わない約束ですか。
ともあれ、
将棋の世界も見た目より遙かにダイナミックで、
驚きました。
昨日の必殺技が今日の大悪手。
まあ、勝負というものは、本質的にそうなのかも。
変わり続けるものだけが生き残るのだ
byチャールズダーウィン。

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2008/05/09

本「うめめ」 梅佳代

ペラペラめくってゲラゲラ笑ってしまい
思わず購入。
いや、梅佳代さんの本はおもしろいと聞いてはいたのですが、
「女性若手写真家」
ってだけでアーチスト系の
なんかよくわからん醒めた写真を想像してた
私が愚かでした。
ホットです(笑)
書店でめくれる本を見かけられたらぜひ
めくってみてください。
どうやったらこんな素敵な瞬間にこんなに立ち会えるんだろう……
その秘訣が知りたい。
いや、そういう星の元にお生まれなのか。
笑福亭鶴瓶さんが、
あの方も笑える事件に巻き込まれまくる方ですが、
確か「打席にたくさん立つ」という表現をされてたと思う。
街角でティッシュ配ってたら、
必ず取る。
そのアクションが何かを引き起こすかもしれない。
そのように、街を「そのように」歩く。
いや、
やっぱ視点かなぁ。
一枚一枚の写真は、「あああるある」っていうシーンなんです。
それを「おもしろい」と感じ取れる
感性の瞬発力。
たとえば屋上ヒーローショーの後のサイン会の準備をしてて、
レッドがペン片手に長机の前パイプ椅子に座って
「まだかな」って顔して待ってるんです。
いや顔は仮面で隠れてるんですけど。
この、冷静に考えれば絶対に存在してるはずの一瞬が、
切り取り方によってはすごくおもしろい。
これもうサイン中だとたぶん面白くないんですよね。
いや、まあ、でも、
このドラマチックネスは才能としか言いようがないかも。
ごちゃごちゃ言うより百聞は、なので、
一度チェックしてみてください。
僕も、こういう写真のような、
文章が書きたいです。

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2008/05/07

本「サーノ博士のヒーリング・バックペイン」 ジョン・サーノ


前々から読もうと思っていたのですが、
連休を使って
 いや私はずっと連休なんですけど
  ちょっとそのセリフ言ってみたかった……
えいやで読みました。

背腰痛の原因はその「ほとんど」が
「抑圧された怒りや不安など」
つまり心因性のものではないかというご意見です。
著者ニューヨーク医科大学のちゃんとした教授で、
もちろんその方向で何千もの人を治してきています。
心はそういう負の感情と向き合うのを恐れ、
身体に痛みを発して意識をそこへ向けさせる。
だから、この痛みを治すには、
「あっ、今僕は感情を抑圧しすぎて、
 痛みを起こしてしまっている」
と認識するだけでよい。
そうすると心や脳にとって、
痛ませる意味が無くなるわけです。
で、治る。
人によっては、この本読んだだけで長年の腰痛が治る。
認識するだけですからね。
腰痛は自律神経系ですが、
これはたぶん免疫系でも同じで、
つまり花粉症とかアレルギー鼻炎とかも同じ。

ほんまでっかいな!って感じですが、
確かに……自分振り返ってみると
(軽い)腰痛や鼻炎の酷い時期は、
しんどかった時期でした。
環境が変わったり、踏ん張りどころだったり。
(ちょっと占いみたいになっちゃいますけどね(笑))

もちろん腫瘍など器質的な障害もありうるので、
ちゃんとしたお医者さんにちゃんと診てもらうのが
まず最初、と口酸っぱく書いてあります。

これに類する本で、作家夏樹静子さんの
「椅子が怖い」も以前ざっくり読んだことあります。
先生ももう死ぬか生きるかの大腰痛だったそうですが、
結局は心身症の一種で(心因で身体に症状が現れる)
追い詰められて
「もう、『夏樹静子』を捨ててもいい!!」
と思い切ったら、びたーっと治ったそうです。
ありとあらゆる療法を何年も続けてきた痛みが。
ただ、それだけで。

腰痛だけでなく僕のように鼻炎持ちですとか、
胃弱ですとか、不定愁訴が多い方は、
一度この本を読まれて、
ご自身の心と体について考えてみるのもよいかと思います。
ポイントは
「性格を変える必要はない」
ところで、そもそもそんなことは不可能で、
怒りを感じないようにするとか
抑圧せず巧く発散させるとか、
そんなこと簡単にはできません。
ではなくて、
「強い抑圧感情が引き起こしている痛みだ」
と、捉えることで十分痛みの役目を終わらせることはできる。

自分を把握することはとても重要なことで、
「オレは身体に出ちゃうほど
 なにかを抑圧してるのか……」
と思うだけでもとても救いになります。
悩みも不安も怒りも無い人間など居ないものですが、
それが強くなりすぎている、
と身体がサインを出してくれていると感じれば、
「もうちょっとのんびり行こう」
「E加減にやろう」
と肩の力も抜けるもの。
そうそう、よく言われますが
「肩こり」って日本人特有の症状らしいですよ。
いかに生活習慣や骨格に多少違いはあるとはいえ、
特定の民族だけに特定の病があるとは考えづらく、
これもこうした身体の痛みが
ある程度心が原因になってる証拠の一つかもしれません。

あ、もし書店でお手に取る機会がありましたら、
監訳者の長谷川淳史さんの「あとがき」も面白いです。
脊柱の変位は最新のカイロ業界では
「腰痛の原因とは言えない」って
コンセンサス取れてるらしいッスよ!
ああオレの背骨は曲がってていいんだ。

もうすこしいいかげんに生きようと思います。
えっ? これ以上?

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2008/04/12

本「神話の力」 ジョーゼフ・キャンベル/ビル・モイヤーズ

なんと表現してよいのやらよくわかりませんが
すこぶる面白かったです。
賢者に知者がインタビュー、という
僕の大好物なので万人オススメというわけではないのですが、
まあとにかくそういう書物で、
神話のみならず宗教哲学民俗学等々にご興味あらせられる方には
よろしいのではないかと。
縦横無尽って感じですね。

突き詰めると普遍性を得ると言いますか、
アメリカで生まれ育ち学び生活したキャンベル先生も、
世界各地の神話を学ぶうちに
禅の高僧というか、西洋で似てる人といえば
ああそうだゲーテもこんな感じでした。
(もちろんエッカーマン越しの雰囲気ですけども)
あるいはヨーダと言ってもいいのですが、
ルーカス監督はキャンベル神話学に多大な影響を
受けているらしいので、
(「スターウォーズ」は神話です)
つまりヨーダのモデルはキャンベル先生じゃないかと。
いやなんというか、うまく言えないけど面白いです。

ただ賢い者同士の対談にありがちな
話柄がぽんぽん飛んでついていきにくい、という面もあるので、
純粋に神話の話を楽しみたいなら以前ご紹介した
千の顔をもつ英雄
の方がよいやも。

まあしかしですね、良書であることは間違いなく、
こんな本が絶版というのがオカシイ話でして
ってプレミアついてるー!
僕が買った数ヶ月前は定価(2700円)より安かったのですが……
早川書房さん頑張って文庫出してください。
これこそロングテール本。
ぜんぜん古くなってないし。(初版92年)

NHKで放映されたこのインタビューの映像版がありまして、
友人に見せてもらったことがあります。
(確か本放送当時だから90年代初頭)
その時も神話の話そのものより
「へぇ〜世の中賢い人おるんやねぇ」
という印象でした(笑)
人間の知性は、ここまでいける。

まったく余談ですが、
Amazonマーケットプレイスから届きますとものすごく臭くて、
あまりに難儀したのでぐぐると、
「重曹(ベーキングパウダー)まぶして密閉しておくといいよ」
とあったのでやってみました。
ジップロックに入れて一週間ぐらい。
なるほどかな〜り抜けたのですが、
さすがにまだページを開けると臭い。
どんな環境に放置されてた本なのやら。
まあ、そんな手もありますよ、ということで。

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2008/04/01

本「4-2-3-1 サッカーを戦術から理解する」 杉山茂樹

割とマニアックなので、
サッカー好きにはなかなか読み応えあります。
(逆に言うとそうでないと「???」かも)
現在世界的に主流となってるフォーメーション、
4-2-3-1
(4-5-1あるいは4-3-3あるいは4-4(フラット)-1-1)について
なぜ優れているのか、どう優れているのか、
丁寧に描かれています。

そこからお定まりの日本サッカーへの提言につながるのですが……
しかし、戦術と選手層はニワトリタマゴの関係です。
未だに語り継がれる、
僕もオンタイムで見たから強く印象に残っていますが、
ヒディンク率いる98オランダ、
4-5-1(4-2-3-1)でコクーが4つのポジションを、
って、あの、
日本にはコクーは居ません。
やっとこさ最近、憲剛や遠藤など
ハーフならオフェンシブ・ディフェンシブ関わらずやれる人が
出てきたかな〜?という程度で、
いわゆるポリバレントな、
複数のポジションをこなせる能力を磨くような育成をあまりしてないのに、
そんな能力者が必要になるフォーメーションはどうなの、
というのが一つ疑問。
(特にコクーはサッカー史に残ると言っていいほど
 極めてクレバーな選手ですから、
 いわばロナウドを指して「FWたるものあああらねば」と言うのと
 同じぐらいの特殊例ではないかと)
本の中では「システムが選手を育てる」とありますが、
そんな簡単なもんでしょうか。
また、サイドアタックに重心を置くフォーメーションは、
当然のことながら良質のサイドアタッカーが大量に必要になります。
右・左、ウイング系サイドバック系、
都合4種類でサブ含めると8人。
日本のどこにそれだけの人材がいるのですかサイドアタック系で。
我々はどれだけ長い間奈良橋先生に頼ったんですか。
ドーハの悲劇の時、94アメリカ予選、
左サイドバック都並先生が壊れた時に
日本中がパニックに陥って、
勝矢先生(本職はCB)が左にお回りになってね。
こないだだってキング・加地がケガをすれば
ゴエモン駒野が緊急発進でしょう?
あれがサイドアタック系の弱点なんですよ、
役割を明確化しすぎると代えが効かない。
で、誰でも穴を埋めるようにするには、
先ほど言いましたようにユーティリティのある選手が
育つような育て方をせねばならない。

ただ、まあ、
サイド突破自体は職人芸的な要素がちょっとあって、
日本人向いてるかも知れない、とは思います。
特に前後のコンビで抜く、とか言いだすと。
井端・荒木の二遊間とか国民あげて大好きじゃないですか。
メキシコとかいいかんじで、
あそこも体格や身体能力ではそう恵まれてるわけではなく、
偉大なFWが出てくるってわけでもありませんが、
いつも小気味よいサイド攻撃で沸かせてくれますよね。
参考になるようなならないような。

……と、いうようなことをブツブツ言いながら
楽しんで読みました。
杉山さんも書いておられますが、
スポーツってなものはそういうゴタクをも楽しむものでして、
こういう提案性の高い「いいゴタク」をたくさん
読みたい・知りたいものです。

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2008/03/08

本「虫眼とアニ眼」 養老孟司 宮崎駿


巻頭の宮崎監督の考えるイーハトーブ、を眺めるだけでも
買う価値のある文庫です。
これ読んだのがちょうど岐阜へ向かうアーバンの中で、
荒川修作さん出てて、それで養老へ(これも変な符合ですけど)行きました。

最近ながたも大阪市内住まいに疲れつつあり、
しかし田舎の大変さと不便さもわかってるつもりでして、
街がもうちょっとだけ穏やかにできてたらなぁ、
とよく思います。

特にクルマが細い路地を気が触れたように走ってる様は
精神安定によろしくないですな。
自分も若い頃はそうだったことは棚上げで。
ナビと連動でさ、
道幅これこれ以下の路地は自動的に20km制限とか、
できないものかしら。
F1のピットレーンみたいに。

今スペインやアイルランドが経済好調らしくて、
なぜかといえばヨーロッパとしては
田舎だったもんだから人件費安くて、
大手企業がバンバン進出してそこでモノ作りしちゃったりしてるそうです。
都会の子から身体感覚が失われれば、
田舎育ちの子が非常に重用される時代がくるかも知れません。
「ヤツは木に登れるらしい!」みたいな。

父方のいなかが伊賀でして、
あのへんでも空気は大阪市内とまるで違い、
普段吸ってるありゃなんだ、と思います。
私達は一生懸命いったい何をしようとしてるんだろう、と。
空気清浄機や浄水器は、
要らないものを取り除いてはくれますが、
おいしくはしてくれません。

都会こそハイテクの力で田舎より住みやすくなってて
いいと思うのですが!
どうでしょう!

会社員時代に新しい人が配属されてきまして宴席で
「ご実家どちらですか」
「五島列島です」
「ああ〜、いいところだとききますねぇ」
「いいところです。今すぐにでも帰りたいです」
そんなセリフを言わせては
享楽都市OSAKAの名が廃る。
「いやいいとこなんですけど、大阪楽しすぎて帰りたくないんですよー」
これを狙いましょう。
みんなで。

最近住宅街はゆっくり走ってます。

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2008/03/07

本「脳を活かす勉強法」 茂木健一郎



具体的Tipsの寄せ集めではなく、
茂木さん得意の脳科学と、ご本人の学習の裏付けを元に
書かれてあるので、信頼が置けますし、実践的です。

つきつめて言ってしまえばこのぐらいの量(数)の
「コツ」になってこそ「コツ」であって、
ちょっと薄いのはしょうがないといえばしょうがない。
まったく同じことを言ってても
「茂木さんが言うから信じられる」
という要素もありますしね。

ただちょっと不安になったのは、
裏付けは別にして、ここにあるようなことは
20年前なら進学校の受験生は
誰でも知ってたことだと思うのですが……
そのぐらい「勉強(学習)リテラシー」が落ちてるのかもしれない。

しかしそれも考えようでして、
そのぐらい社会全体が高度に「学習化」されてて、
知らない間に学ばされている、
という捉え方もできる。
少し前に電化製品が火を噴くのが騒ぎになりましたが、
30年ぐらい前は電化製品は火を噴くのが当たり前でして、
神経質な方は家族旅行の前には
冷蔵庫以外のコンセントを全部抜いたものです。
(それでもTVはトランスに溜まった電気で火を噴くんですけど)
ではなぜ騒ぎになったかといえば答えは簡単、
信頼性が上がってなかなか火を噴かなくなったから、で、
逆に問題になるということは、
幸せであるとも取れる。
だから
「ああそうか勉強ってこんな風にせなあかんねんなあ」
と思うことがあるっていうことは、
知らずに勉強できてる幸せな世界かもしれないですぞ?
あるいは、勉強の必要性のない世界。

「勉強の必要性のない世界」
っていうのには2つ意味がありまして、
1つは、日本の立ち位置が変化して、
あるいは産業構造が変化して、
わっしょいわっしょいと手を動かし駆けずり回って労働するより、
お金を右左にして儲けることが多くなったり、
人が余って、現場の効率化がなされて、
「勉強」によってコツコツ貯めたノウハウが
有効に活用される場面が減った。

熟練工の技が失われていくと言いますが、
それは寂しいことではありますけど、
技が必要なくなっていくように作り方や設計を考えていくのは、
やはり人類の進歩です。

もう1つは、
「勉強」と関係のないところが価値があるようになってきた。
それは、(ちょっと強引に言いますけど)
アイデアだったり、創造性だったり、変わった個性だったり。
もっといえば、勉強で手に入るようなノウハウは誰でもが持ってる
(アクセスできる)時代なので、
キッツイ話ですけど、サッカー選手なんかもうそうなりかけてるんですけど、
才能「だけ」がモノを言う。
鍛え方同じですからね。
そうなると「勉強」を担当するのは少数の勉強専門家だけでいいことになる。
サッカーの場合だと育成担当のコーチですな。
子供達は勉強しなくてもそのノウハウをもらえばいいのです。

「そんな馬鹿な!自らの手で切り開いた経験こそが……」
って、そんな子はほっといても自分でゴリゴリやりますし、
カッサーノやアドリアーノのように
本人に一ミリのやる気がなくてもそのあまりの才能に
周囲が押しつけまくり続ける、というケースもあります。

つまり「勉強法」というものが洗練されればされるほど、
「勉強」はプロだけのものになっていくのかもしれない。
それは極端な考え方かもしれませんが。

ま、そうはいっても、
頭で何かを考えて、思いついたり、
(それがもうすでに人が思いついてることであっても)
似てる組み合わせに気づいたり、
こないだまでヒーヒー言ってたことが
カンタンにできたり、
することの喜びはいつでもあります。
本書にもありますが広く「勉強」を捉えると、
ゲームが巧くなるのも勉強ですし、
人を笑わせるのが上手になるのも勉強です。
ああそうか、
勉強の定義が変わってきてるんですね。
今までは記憶や、自分の中で得た知識をもう一度秩序立てる能力、
みたいなところが重要視されてましたが、
これからは、
すでにあるもの同士を結びつける能力とか、
自分の中に取りこんだものを実践に応用する能力とか、
そういうものを「勉強」するのかもしれない。

……しかしそれも両方必要な気がせんでもない。
よく、
「これからは歴史の年号なんて覚えなくていいんだ」
なんて言われますけど、
ホンマにそうですかね。
ある程度は手元に実弾が無いと、戦争はできん気もする。
小なりといえども、
あるいはごく柔らかくても、
「自分のシステム」があるから、
それを強化したり進化させたりできるわけで、
それが全く無いのでは、ただ常に浮き草なだけ。
で、「自分のシステム」を作り上げるには、
やっぱり旧来型の机に齧り付いて
単語カードをめくる時間も、
必要な気がします。
将棋で羽生世代が現れたときに
「これからは(IT技術などを駆使した)若い者しか勝てなくなるのでは」
と言われましたが、現在も羽生世代が最強で、
思いますに若い世代はその、
自分でゴリゴリやった経験が薄いのでは。
ちょうどあの世代が、自分でコツコツ稼ぐのと、
先人の知恵をドバッと手に入れるのと、
両方のバランスがよいのかもしれません。

……というようなことをいろいろ考えました。

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2008/03/06

本「千の顔を持つ英雄」 ジョセフ・キャンベル


キャンベルさんの、簡単に言えば
「神話って人類みんなパターン同じじゃない?」
というすごい着眼点の書物です。
パターンそのものの詳細よりも、
パターンがある、という事実が驚きなのと、
それを発見したことが功績ですな。

結局ドラマというのは
「谷底に落とされて這い上がってくるもの」
ですから、神話たりともドラマである以上
その構成にならざるをえず、
正直なところ、僕には、
ニワトリタマゴに思えまして、
どっちが先かはわかりません。
(神話のような構成を持つものに
 人間がひかれるのか、
 人間がひかれるパターンに合わせることで
 神話が生き残ってきたのか)
しかし、それでも、
「古今東西ほぼ普遍」
という具体的な事実があることは、大きい。
それを信じていい、ということでして、
僕のようなハッピーエンド至上主義者には勇気が湧きます(笑)
ま、ハッピーでなくても輪が閉じないと、
「おはなし」にならないよね、やっぱり。
その輪がまた回るかどうかは別にして。

宗教や心理学にも縦横無尽に筆がおよび、
次々に現れる世界中の神様や英雄の姿には
ワクワクします。
小難しい学術書というよりは
一級のエンターテイメントで、
もう少し、正確性を犠牲にしても読みやすい訳にして
文庫で安く出せば、
もっと読まれる書物ではないかと思いました。
さすがに上下合わせて5600円は普通躊躇する。

でも、おもしろかったです。
知的好奇心を刺激される書物を、
いい書物と呼ぶのならば、
特A級の書物ですな。
書棚と記憶に残る本です。

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2008/02/19

本「実況席のサッカー論」 山本浩・倉敷保雄


サッカー好きなら「この二人なら大丈夫!」と太鼓判を押せる
名実況お二人によるサッカーよもやま話です。
堅い話あまりなくて、実況苦労話のような話が多いので、
いい意味で軽い本です。どなたでも。

たとえば中村俊輔がゴール前FK蹴る時に、
山本アナは俊輔を見てないそうです。
ターゲットになりそうなたとえば中澤を見てたり、
GKを見てたりする。
だからこそそこでファウルがあったりした時に、
リプレイビデオが間に合わなくても、
審判の笛とカードの意味をすぐ視聴者に伝えることができる。

プロやー。

言葉尻の巧さとか、選手に対する情報の量や深さとか、
そういうのはもちろんあればあるにこしたことはないんだけど、
それで「サッカー中継」というパッケージを
すべて埋めることはできない。
もっと全体観というか、
視聴者におとどけする体験の一塊として、
なにが必要なのかを、
冷静にそして瞬時に判断することが、
実況アナには求められる。
まさに実況放送の司令塔ですな。

また山本さんと加茂さんのとぼけた味の放送が聞きたいなぁ。

ぜんぜん話は変わるんですけど、
以前からなんですが特に最近、
「日本の課題はゴール前」
と良く言われます。
でもそれ、言い方を換えれば、
ゴール前まではそこそこやれてる、
ってことですよね。
じゃあ、ゴール前でも同じことをやったらいいのでは?
特定の天才FWのスーパーシュートに頼らず、
ゴール前2mでもスペースがなければ
スペースのある仲間にパスを送る。
いや、
ボナンザがね(笑)
終盤の詰め将棋ルーチンを「わざと」載せてないんですよ。
あれこそ「間違えない」コンピュータの強み、
だと自他共に認めると思うんですが、
保木さんはそれよりも
「さらにいい手を発見できる可能性」
の方が利益が高い、と計算しているのです。
正直ね、
高原に今からアデバヨールになれっつってもムリでしょう。
トーゴを一人でワールドカップに持ってったようなFWになれというても。
ムリなことをいつまでもいつまでも
繰り言のように言うててもしょうがないですよね。
もちろん若い子をアデバヨールに育てるのはいいとして、
今ナウは、「決定力」とか無いんだから、
無いものゴチャゴチャ言うてても
なんの進歩もないじゃないですか。
そんなもの無くても、勝てる戦い方を考えないと。
「急にボールが来た」柳沢と
「被ファウル芸の師匠」鈴木隆行が
組んだ代表の試合は、
確か負け知らずですよ。
ここにこそ直近の日本代表へのヒントがあるんじゃないかなぁ。
これは余談ですが!

なんか今の日本って全体的に、
すごく力はあるはずなのに、
「よくこう言われてる」
ってところにまだ引きずられてて、
持てる力を全て出せてないような気がします。
サッカーに限らず。
まず、既存の理念や理想に対してどうであるかよりも、
自分の力を全て引き出せるやり方を、
自分で考えるのが、
先じゃないかな。
と、偉そうに言ってみる。
まず君が考えなさい。
はい。

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2008/02/18

本「ボナンザVS勝負脳」 保木邦仁・渡辺明

ということでそのボナンザの話を読んでみました。
保木さんの話を聞いてるとどうも
「全幅検索だから強い」
というわけではないそうです。
全幅といっても確立された安全な枝刈り手法があって、
各種のそれを用いると大幅に計算量を減らせるそうで、
選択的検索に比べて
かならずしも「力尽く」というものでもないみたい。
結局、「いい手」か「悪い手」かを
「判断する」には形勢の数値化が必要で、
たとえば王の周りに敵味方のどんなコマがいるのか、とか、
こちらの何がどこにあるのか、などを、
重みづけして、数字にする。
これは開発者が与えてやらねばならない。
この判断そのものはどのソフトでもやってることで、
ただ、その判断の重みづけ方に、
まず自動学習で得た「ボナンザらしい」個性があって、
また、その判断が出そろうまでは
いわば予断や偏見を持たないようにしましょう、
という点が、新しさ、だったんですな。

だからポイントを整理するとやはり、
・「いい」ってなに?
・「いい」「悪い」を判断する時期
の2点です。
ここを、
・「いい」とは「勝つこと」だ。
・判断は都度起きてから行う。
 前判断はしない。
と、決めたのがボナンザ。
それ以外のソフトを対比的に言うなら、
・「いい」とは「こういうカタチ」。
・それに沿うか沿わないかで
 まずおおまかな判断をする。
ということで、
どちらがいいとか悪いとかではなく、
アプローチの違いにすぎないんですけども、
しかし前者はいかにもコンピュータが得意そうですな。
人間としてはもっと後者から派生する
「美学」とか、「流れ」とか、
そういうところで勝負したいところですけれども、
まあ、どうなんでしょう?
バランスなのか、はたまたどちらかのアプローチを
極めた方が強いのか。
後者の方が爆発力というか、
モチベーションは強そうですけども、
思いこみや美学に殉じる穴がある。
前者はcoolに見えますけど、
実はエゴがなくて、献身的つまり人間的であるとも言える。
だからやっぱり、
人間に当てはめる場合は、
向いてるスタイルはその人次第なのかなぁ、
と思ったりします。

コンピュータが人間を完全に凌駕しても、
別に将棋が滅ぶわけではないと思いますよ。
コンピュータソフト同士の戦いの方が
盛り上がっちゃうことはあるかもしれませんが。
F1グランプリのように、
ハード・ソフト・開発陣のパッケージ全体で
NEC対富士通とか、
エースプログラマとエースデザイナー
(重みづけを担当する・あるいはプロ棋士かもしれない)
が戦闘力を決めるとか、
それはそれでおもしろそうです。

あと、渡辺竜王おっしゃるには
「万が一にも負けない手を慎重に打ちすぎて
 接戦に持ち込まれてしまった」
そうです。
だから実力的にはまだまだのようですね。
それでもアマチュアのほとんどの人は既に歯が立たないんですけども……

いや、おもしろかったです。
久しぶりに将棋が指したくなりました。
強豪ソフトと対戦させられる棋士は
たまったもんじゃないでしょうが、
将棋界全体にとっては、これは奇貨ですよ。

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2008/02/04

本「芸術の神様が降りてくる瞬間」 茂木健一郎

いやー、おもしろかった!
当代一級のアーティストに茂木さんが迫るわけですが、
普通のインタビュアーと違って茂木さんには
「脳科学」という武器、切り口があるのが大きい。
それぞれが自分の言葉で語る
大切な「もやもやした部分」を、
我々にとってかなり親しみのある言葉や考え方で、
別の面から光を当て、
立体にして見せてくれます。
立体になったからって、
「わかる」ってもんでもないのですが、
それでももやもやのままよりはずっといい。

それぞれに視点が違って非常に興味深いのですが、
特に5人目最後の荒川修作さんのキレっキレぶりは
大興奮としかいいようがなく、
このインタビューそのものがアートです。
久しぶりに、「読み進むのが惜しい」と思う本でした。
あと「人に貸したい」と思う本。

茂木さんがあとがきにも書いてますけど、
「日本人が画一的だなんて、ウソだ」
と実感できます。
非常に刺激的。
この5人さんの飛ばしっぷりを見れば、
お前はなにをだれに遠慮してるのだ、と。
それは僕がコンテンツ屋だからっていうことじゃなくて、
すべての生活人に。

そしてこの5人さんと茂木さんの
圧迫感のない自然体も印象的でした。
どの方もトップクラスですから、
もっとガツガツギリギリと緊張の糸を張ってるのかと思いきや、
それは「そのこと」に集中している時だけで、
普段はもっとナチュラルに冷静に
自分自身のことを顧みることができる。
虚勢もはらず、卑下もせず。
まずこの態度だけでも見習いたい、と思いましたよ。

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2008/01/24

本「常識はウソだらけ」日垣隆


ごっつおもしろかったです。
世の中は知らないことばかりですなぁ。
明快にまとまってますので
立ち読みでもすぐ読めるのではないでしょうか。
おすすめです。

こういうのを読むと、
やっぱり、「ちゃんとした情報」は
(なにをもってして「ちゃんとした」というのかは、
 ひとそれぞれだと思いますけども)
お金か手間か、とにかくコスト掛けて手に入れないと
ダメなのかなぁ、と思います。
今もその道のプロは、
モノにせよサービスにせよ、
「ああ、あれはいい。あれはいい」
「いやぁ、そこまでは要らん。これで十分」
というしっかりした判断ができると思うのですが、
そういう言葉がなかなか
「普通の人」にリーチしませんよね。
それは、ちょっと大げさに言うと、
生活とか生き方とかでもそうで、
「あぁ、そこまでムリせんでもこのへんで十分やで」
みたいな「知恵」っていうんですかね、
が、あるところにはあるけど、
それが広がりにくい社会構造に
なってます。
これだけネットやメディアが発達しているのに。
いやむしろ、そういうものが発達してしまったので、
そういうところに流れてるものこそが
真実だと思うようになってしまったのかもしれません。
町のご隠居の言ってることよりWikipediaの方が、
正しそう。
そうとは限らないですねぇ。
たとえば、あるメーカーの新製品情報は、
ネットのどんな情報よりも、
社員が一番よく知っている。
「それは隠されている情報だからだ」
というのはそうですが、
でも、本当に知りたいのはそういう情報、
「で、ぶっちゃけどうなん?」
というところではないでしょうか。

……というような、
たるんだ精神に冷水を浴びせられるような本です。

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2007/12/22

本「昭和陸海軍の失敗」 半藤一利他


 日本型組織がダメな時の典型的事例が列挙されてて、「あぁいつでも同じだなぁ」とたっぷり嘆息できます。この本を読んで確認するのはダメな日本型組織はいつでも同じで、たぶんこれからもずっと同じです。例を挙げればアテネ五輪野球代表、「指揮官無し」で戦地に乗り込むという愚挙というよりは狂気の沙汰をやって、組織そのものはおろか国民から「それはおかしい」という声が大きくならないんですよね。さすがに少しは出はしますが、その声をあまり大きく発すると叩かれる。だから賢明な人ほどその声は出さない。で、やっぱり、負ける。そういうメンタリティの国民ですから、戦争はやればたぶん負けるので、やってはいけないのです。

 目的意識と当事者意識を見失った組織は等しく迷走しますから、日本人が特別、ということも無いと思いますが、日本の組織は今も、目的ではなく構成員間の精神的繋がりをベースに構築されていることが多いので、必然的にこの弱点に直面する可能性が高い、と思います。
 どんなに優秀な人材とシステムがあっても、それをまとめて一点に向けることができなければその組織は働きません。あたりまえのことですが、逆にあたりまえすぎて、よく忘れることです。優秀な人間が居る最新のシステムがあるだから素晴らしいアウトプットが生まれる。それは、違う。

 僕は昭和46年生まれなので、考えてみれば20歳で戦地に居た方がまだ46歳の時に生まれており、そういえば子供の頃は親戚の法事などで戦争の時の話をよく聞きました。今はミサイルを誤射すれば世界中から叩かれる時代ですが、当時はグラマンが一般人めがけ機銃掃射をしてました。日本にもほんの数十年前にそういう時代があったという記憶そのものが、急速に失われているように思います。ミリタリーなものはどうしても「強さ」と「機能美」を持ちますから、ある一定割合の小さな男の子の関心をひいて当然だと思うのですが、それさえも「ないこと」になってる世の中のような気がして、それは逆に不自然な気がします。高名な基地祭なんかですと、結構人出もあって盛り上がるものですが、1秒たりとて全国ニュースになりませんよね。それが「いい」ってことではなくて、それが「ある」ということからことさらに目を逸らすのは、変な気がするんです。
 嫌なことでも見ないと、賢くはなれない。

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2007/12/13

本「生物と無生物のあいだ」福岡伸一


はい、書店平積みベストセラー、面白かったです。
私科学読み物が好きで高校時代は国語より生物が好きだったもので、こういう書物は大好物です。
ちょっと研究者のエッセイにするのかジャーナリスティックな読み物にするのかで迷いがある感じがしますが、まあ、それは些細なことで、「読ませる」本です。科学好きならオススメ。研究最前線の手触りが存分にしたためられており、人間ドラマとしても良質です。

不可逆性が生物の定義だとするなら、
「命とは時につむがれしもの」
とかなーんとかカッコイイ言い方もできるかもしれませんね。

最新の科学の現場は、特に生物学や医学は昨日の常識が今日の嘘、になる日進月歩で、ほんと面白いですね。
「ほぼ日」の池谷さんのお話もすっごく面白かった。
http://www.1101.com/suimin/ikegaya/index.html
調べれば調べるほど、わかってくればくるほど、わからないことが増えていく、というのが素晴らしい。そして面白い。
頭脳労働者に夜型が多いのは、もちろん夜の方が集中できる環境を作りやすいこともありますが、睡眠直前に仕事ができる、というのもあるのかも。(朝型は起き抜けがフルパワー、夜型は寝る直前がフルパワーです)
やっぱり夜型ですよわっはっは。

この本が売れるということは、あるいは茂木健一郎さんの本が売れたり、するのは、こういう読み物を欲する人が多いということで、それは非常にいいことだと思います。もっとたくさん良書が生まれいずらんことを。

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2007/12/06

本「貝と羊の中国人」 加藤徹


 ものすごためになりました。おすすめ。
 知ってるようでいて全然知らない国中国、そして中国人、という感じです。こういう本が各国について欲しい。特にオーストラリアとかインドネシアとかフィンランドとか。
 肌感覚というのは一番いいのはその国へ行ってみることですが、それでもサラッと通り過ぎただけではわからないことも多いです。逆に書物で学んだ気になっても、実際に五感で感じる情報の量と質はまた別物で、両方必要ですな。
 またものすごい失礼な言い方ですが、こういう本があると「ああ人文系の学者さんも世の中の役に立つなあ」と感心しました。役に立つ立たないが学問の良し悪しではありませんし、そもそも「役に立つ」とはなんぞや、というのはさておき、ありがたい、と思ったことは事実です。
 プロにとっては当たり前のことが、素人にとってはサッパリわからない。しかしそういうものこそ非常に本質的であることが多い。そういう情報を共有することは、とてもいいことだと思うのです。ネット時代になって、プロとアマの境目みたいな人の発言が拾えるようになってきましたが、そういう発言はこなれてないというか、「蒸留された一言」になってないので、正しくてもわかりにくい。やっぱりそこは、長年そればっかりやってる人の、「ああ中国人の領土意識は清がベースですから。だから南沙諸島は自分のものなんですよ」というわかりやすい一言が欲しいわけです。
 そういうプロをめざしつつ、そういう言葉を求めつつ。

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2007/12/02

本「佐藤可士和の超整理術」佐藤可士和


「整理と問題解決は同じベクトルでつながっている」
 面白かったです。具体的なノウハウ本とはちょっと違ってて、もうちょっと概念的ですが、プロジェクトの実例を挙げてこういう流れでこう、というご説明はさすがに整理されてて(笑)とてもわかりやすい。

 私事ですが2年ばかり前に一念発起してかなりドッカリ片付けまして、45Lゴミ箱にして50いくつだっけかな、つまり2tばかりゴミ出したんですけど、いやあ、あるもんですねえ、ウチの部屋5畳+押し入れで、しかも今もかなり詰まってるんですけど、それでもそんな出た。整理は大切です。今年もやるかな……

 情報を整理すると、不安が消えます。不安というのは「どうなってるんだろう? どうなるんだろう?」というものですから、情報を整理して問題を把握すると、作業の量と質が概算でも見積もれます。そうなると、どれだけ頑張ったらいいのか、あるいはどう考えても無理なのか、とにかくある程度の「見通し」がつくので、「安心する」んですね。これがパフォーマンスに効きます。
 もっとも、安心して気が抜けて最後追い立てまくられることもよくあることですが……

 可士和さんのデザインは、「はっ」とさせられることが多いですな。N702iDもそうでしたし、「極生」もそうで、「ああそれはアリだ。じゃ今までどうしてなかったんだろう?」というところが、素晴らしいと思います。
 この本は書影みていただくとおわかりのとおり純白の中に黒字明朝体でタイトル、というシンプルの極みですが、もちろん著者自装。僕がもしちゃんとしたハードカバーの本を作れるなら一度はやりたかったことがやられてて、泣けました。
 雑誌・書籍の表紙デザインでは「白を使うのは芸のない証」などと嫌われるそうですが、実際この本は「なにもせずに年収1000万!」なんて心身共に疲れ果てるギトギトしたビジネス書の中で非常にクールな雰囲気を出しており、まさに作戦勝ちです。そう、勝つことを教えてくれるはずのビジネス書が、こんな簡単な作戦に負けてるようではダメですよね。
 こういう実例を見てると、いわゆる「基本」とか「常識」がいかに無駄かよくわかります。全ての要素は、大きなネットワークの中でしか意味を持ちません。その要素取りだしてぐでぐで言うことは、ほとんど無意味です。「勝ってるチームは弄るな」がサッカーの鉄則ですが、それをやってオジェック監督は優勝を逃したんです、よ。

 いろんなことが脳裏を巡る良書でした。文庫化して多くの人に読まれるとよいと思います。

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2007/11/30

本「癒す心、治す力」アンドルー・ワイル

昨日のようなことを言い出しましたのは、
こんな本を読んだからでして。
まあ目新しいことは特にないのですが、
つまりは
「治すのは自分だ、ってことを
 思い出すんだみんな!」
という本なのですが、さすがアメリカ人、
左右にも上下にも横断的なことをやらせると
巧いですなぁ。
これ一冊で心構えから実践まで。
著者がハーバード出の医師というのも、
この本の本旨とは若干矛盾してますが
正直な話、大事な点です。
そこらのオッサンが書いてるもんじゃない。
これ初版95年だそうですが、
そこから比べてもずいぶんと人の意識も変化したものです。
僕が高校生ぐらいの頃……80年代後半ですが、
に、この本に載ってるようなこと言ったら狂人扱いされた。
いや、されました。
わたくしが。
実際に。
悔しさも虚しさも全部覚えてます。
ちゃんと合理的に言ってたんですよ、
私科学も大好きアポロの子ですから、
しかしそれでもカバーできない領域があって、
そこに効くかもしれないなにかが、
昔からあったり使われてたり、
あるいは隠されていたりするんだ、
そう。
それでも嗤われた。
顔をしかめて眉毛を段違いにしてね。
今だってそういう反応する人多いと思います。
それでも、「いや待てよ」っていう人も
ずいぶん増えました。
いいことですよ。

もうちょっと普遍化して言うと、
「できへんことがある」
ってことを認めないと、
できるようにはならんのです。
できへんことを責めてるわけじゃない。
それは恥でもない。
でも、できへんって認めないと、
前へ進まないじゃないですか。
「できるようになろう!」
「できるようにしたい!」
意志や気迫や挑戦心のタネは、
「できへん」
っていう現状認識です。

まあなんかそんな感じ。
サプリメントも偏見持たず覗いてみよかしら、
とドラッグストア眺めてましたら、
なんであのアスパルテームとか余計なもん
入れるのかね。
もちろん飲みやすくするためでしょうけど、
抜本的に本末転倒のような気がする。

まあ、それよりなにより、
この本にもありますように、
健康って気持ちの持ちようが一番でかくて、
人生or生活がうまく行ってるときは、
なんとなく安定してるんですよね。
なによりもそこんところを、
自分にフィットさせるように
状況を変えていく、
のが、健康にとって一番いいことなのだろう、
と思います。
僕も風邪はよく引きますけど、
いまんとこわりとのほほんと生きさせて貰ってますので、
(もうちょっと焦れって話もある)
でかい病気は無いです……
とか言っててふらっと検診受けたりしたら
不治の病が見つかったりして。
まあ、それはそれでオモロイのではないか、
と思ってもみたり。
正岡子規より長く生きてしまったので、
もう、いいです。

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2007/10/31

本「日本人はなぜシュートを打たないのか?」 湯浅健二

はい。おもしろかったです。
現場経験に基づいたわかりやすいエピソード満載で。
さすが湯浅さん。

ただ、日本人論みたいなものを期待すると
まるっきり違いますので、そこはご注意を。
最近は、新書もこんな感じで、
タイトルや煽り文句と内容が乖離してるのが
あたりまえになってきましたなぁ。
長期的に見るとよくないことだと思うんですけど……
もちろんスポーツ新聞や週刊誌ならOKでしょうけども。
特に、内容がそこそこ優れている新書の場合は、
やっぱりちゃんと内容を伝えた方が、
それこそロングテールなんじゃないかなあ、
と、本編とはなんの関係もないことを
考えさせられました。

もいっこ言うと、
このぐらいの質・量なら、湯浅さんならたぶん、
webで10回短期シリーズぐらいで
書けちゃうと思うので、
最近新書が売れてる、って事実は、
blogをはじめwebテキスト文化の実体化、
じゃないかと思った。
言い方を換えると、
こういうノリとか質感・量感のものが、
今一番テキスト、文字として
多くの人々に読まれやすいスタイル、
なのではないかと。

ま、それでどうだってわけでも特にないんですが。

久しぶりに海外サッカーを見たくなりました。
またNHK-BSが頑張ってどこかの放映権取ってくれないかしら……
リーガでもプレミアでもセリエでもいいわ。
チャンピオンズリーグだけでも……
ああ……
イイモノには金を払え。
そのとおりでございます。
ああ……
せちがらい。

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2007/10/29

本「ブロンソンならこう言うね」ブロンソンズ

田口トモロヲさんとみうらじゅんさんが、
おたがいの悩みを男の中の男、
「チャールズ・ブロンソン」になりきって
答え合う、というおバカ本。
ホントバカですけどおもしろかったです(笑)
あれですね、人間、
他人のことだと、いいこと言えるんですよねぇ。
『「楽」で決めるな。「好き」で決めるんだ』
『親のやることは全部許せ。──だって親だろ?』
『自分の年齢なんて、自分で決めればいい』
カッコイイねえ!
つまり、いつも他人だと、いいんですよね。
自分じゃなくて。
そうすると、結構カッコよく、
生きられると思う。
本物ブロンソンも仕事を選ばなかったそうです。
そういう「自分の無さ」こそが、
究極に「自分」を作りあげ、
役名をちっとも覚えてもらえない個性派名優を
生み出したのでしょう。

まあ、役名覚えてて俳優名覚えてもらえないのと、
その逆と、
どっちがいいかなんて、だれにもわかりゃしないですね。
本人にさえ。

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2007/09/27

本 「ローマ人の物語」29・30・31 終わりの始まり 塩野七生

 いよいよ全盛を誇ったローマ帝国も衰弱への道を辿ります。多少もの悲しくなってきます。あるシステムが寿命を終える時って、同時多発的にそのシステムでは対応しきれない事象が次々に起こるんですよね。なぜか。というより、歴史的な目で見れば、次々に起きたからこそ滅びたんですけど。人間の力でどうにかなる場合、どうにかなって続くのです。大国も長期間安定システムも必ずしもずっと順風満帆というわけではなく、もう終わりだというような危機もなんども訪れるんですよね。でも、「まだ続くべし」と天が命じた時にはそれを奇跡のように乗り切り、その天命が尽きていればあっけなく滅ぶ。そこに人智・人力の及ばない領域があるかのように見えるから、七生姉がおっしゃるように「歴史に触れているとメランコリーになる」のかもしれません。

 個人的にあんまり辛気くさいの好きじゃないで(笑)もう単行本買って(まだ滅亡まで単行本でも4巻もあるよ!)一気に読んじゃおうかな、と思ったり(このシリーズ文庫化が1年1回なので待ってたらあと4年待つ必要がある)、でもせっかくここまで文庫本で揃えたんだから文庫待ちたい気もしたり……悩み中。

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2007/09/06

本 「明惠上人伝記」 訳注:平泉洸

 伝記とはいえ、なんかスーパースター列伝読んでるみたいだった(笑)「上人どんだけすごいか」がメインで、具体的な御行状がちょっと少ないのです。そこがちょっと残念。「なんか修業してたら昔の偉い人みたいなんがぶわーやってきて『お前はえらいのぅ』言われましたわー」みたいな妄想話ばっかりで、「……そう言われましても」って感じ(笑)これもちろん本人著じゃなくて弟子が書いたもの、とされているもの(実態はそういう諸々を数十年後にまとめたもの)なので、まあ、そういうタッチになるのはしょうがないんですけども。
 これこんなことここで言っててもしょうがないんですけど、このクラスの人物でも他宗排撃やるのね。具体的には法然をけちょんけちょんに言ってるの。そりゃわかりますよ、こんなGeniusにとっては「なにやっててもいいけどお念仏だけ唱えましょうね」なんて法然はホンマ心の底から邪教って感じでしょうけど、法然には法然の言い分があって、やっぱりフツーの人々を救えなけりゃ仏もなにもないだろう、ってとこじゃないですか。
 これがさあ、僕が宗教人ってものを抜本的に信じられない理由の一つでさあ。みんななかよくLove&Peace、それが絶対的真実じゃん。どんな理由があろうと人けなす人に、そんなこと言われても信じられないよね。バカ言う人がバカです。
 ……というようなことぐらいは、そこが矛盾だ、ってことぐらいは、鎌倉時代の人にだって容易にわかってたことでしょうから、つまり、「そういうもの」で、「それは言わないこと」になって延々来てるのかなあ、とは思います。そこが矛盾してるからと言って、明惠上人の偉さは変わらない。普通の人にはできんことをやっている、感化されて心を入れ替えた人も多い、その袖にすがって新しい人生を歩み始めた人も多い、だからいいんだ。
 それはそうです、そうなんですけど。
 でも、結局、亡くなった時に3人ばかり後追い自殺してるのね。あかんでしょう、と(笑)せえへんようにちゃんと言うとかな。いや、そんなん口に出していうのもやらしい話や思いますけど、でも、そのへん見極めてちゃんとやっとくべきやないですかねえ。それもその人の「あるべきやうは」である、というなら、なぜ法然の「あるべきやうは」は認められへんのですか。
 わしゃ中2か(笑)

 結局さ、全部そう。「信じろ」なのよ。最後は。
 そりゃなんだって信じりゃ解決するよ。でも、それは抜本的解決かっつーとそうじゃないじゃない。抜本的解決をする必要があるのかといわれるとそうでもないかもしんないけど、でも、そこをのたうち回って苦しんできたからこそ、人間は進歩したのさ。なにを信じられるかって、飢えを、多くの病を、言われ無き束縛と不平等を、叩き潰してきた、人間の進化という事実以外に、信じられるものがありますか。
 僕は死ぬまで、「信じろ」という人間を、信じない。

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2007/09/05